【梅花春月】 月見
FC2ブログ
 

梅花春月

□ スポンサー広告 □

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

*    *    *

Information

□ TEXT □

月見

明治
木戸視点 大木戸 (高桂)



宴席から抜け出し、旅籠の襖を開け放して剪定の行き届いた庭を眺める。
夜も更けているというのに薄明るいのは、この地を遠くから照らす真ん丸な月があるからだろう。
柱に寄りかかり静かに佇む美しい庭とそれを柔らかな明るさで包む月をぼんやりと眺める。
隣の部屋からは未だ賑やかな声が聞こえ、その中にある幾つもの昔からよく知る声に微笑が浮かんだ。

いつかもこうして皆で宴を楽しんだものだ、と懐かしく思う。
激動の時代の渦中であったにも関わらず、あの日は皆一堂に会して酒を飲み、歌い踊っては笑い合った。
長州の今後についての話し合い、という名目など、あの日は誰もが忘れていたなと苦笑する。
今隣の部屋から聞こえてくる声の中にも、あの日共に興じた者たちがいた。
俊輔、聞多、狂介、市、弥二…と、声に出しながら指折り数え、やがて重力に従いぱたりと力無く手をおろした。
耳を澄ませば彼らの声と共に、周布や久坂の声も聞こえてくるような気がして瞳を閉じた。
けれどやはり、そこにいるはずもない彼らの声は聞こえない。
彼らを心引き裂かれそうなまでに思うのに、日を追うごとに彼らの顔も声もぼんやりと霞みがかっていくのが許せなかった。


「あぁ、そういえばあの日は、お前もいたね」

聞こえない声を聞こうとするのをやめ、目を開いて月を見上げる。
あの日、自分の隣を陣取り誰に呼ばれても自分から片時も離れようとしなかった男を思い出す。
桂さん、桂さん、と懐っこく呼ぶのが犬っころのようで妙に可愛く思えたのを覚えている。

酔いが回り、風に当たってくると、あの日も少しの間部屋を抜け出した。
ひとりではなく、べったりと引っ付いて離れない高杉も伴って。
その日も、今日のような一部の欠けもない満月の日だった。
穏やかでありながら気を抜けば吸い込まれてしまいそうな光を放つ満月に、立ち止まり、ぼうっと見入った。

「綺麗じゃ…」
「あぁ、綺麗だ…」
「桂さん、俺は、怖い」
「怖い?」

高杉が己の手を取り、ぎゅっと握る。
いつにない仕草と弱気な声に高杉の方を見やれば、その顔は微かに蒼く、月の光を反射し黄色味がかった双眸はただ茫然と月を見つめていた。

「晋作?」
「連れて行かれそうじゃ、あの月に」

言いながら、瞬きすらせず焦がれるように月を見詰め続ける高杉に、血の気が引くような思いがした。
思わず、握られていた手を力の限り握り締める。
痛みに我に帰ったのか、高杉は漸く此方を見た。
そうしてその瞳に自分を捉えるとじっと此方を見つめ、先の何ものかに取り憑かれたような表情を一変させて悪戯っ子のような笑顔を浮かべる。

「あぁ、なんじゃ。あんな月よりよっぽど、桂さんの方が綺麗じゃ」

繋がれた手はそのままに、もう一方の手でするりと頬を撫でられる。
愛おしそうに何度も頬を擦る手のひらが温かく、心地良い。

「ぶち綺麗っちゃ、桂さん。桂さんが居ったら、月すら霞んじょる」
「晋作…さっきのお前は、今にも何処かへ行ってしまいそうだったよ…」
「何処にも行かん。桂さんが月より綺麗でおるうちは、月なんぞに惑わされたりせんほ」

だからいつまでも隣で綺麗に笑っていて欲しいと、高杉は言った。
そう言ってくれたから、あの時焦がれたように月に見入っていた高杉への焦燥を忘れることができたのに。


「…何処にも行かんと言うたじゃろうが。月より僕の方が綺麗やと、言うちょったじゃろ…っ、晋作」

あの日と同じ満月を、今はひとり見上げる。
自分を置いていってしまった高杉への非難の言葉を、揺らぎもせず佇み続ける月へと向かい感情的に吐き捨てた。
病に伏して、そのままいなくなってしまった高杉は、あの日のように隣で笑うことも手を握ってくれることも二度とない。
生前の言葉を咎める自分に、へらりとした顔もいつもの言い訳も、もう返ってはこなかった。



「綺麗な月ですね」

突然声をかけられ、思わず肩がびくりと跳ねた。
いつの間にか凭れ掛かっていた柱の半歩程後ろに大久保が涼しい顔で立っている。

「大久保さん…」
「なかなか戻って来られないので、何かあったのかと思い様子を見に来ました」

いつから、と問おうとしてやめた。
過去に囚われた独り言をずっと聞かれていたかもしれないと思うと居た堪れなかったから。

「日本では月でうさぎが餅つきをしていると言うが、アメリカでは月に女の横顔が見えると言うそうですよ」

言われて、そうだろうかと月を眺めてみた。
よく目を凝らしても、想像で補おうとしても、どうしたって女の横顔があるようには見えない。

「見えますか?」
「いえ、残念ながら。私にはうさぎにしか見えません」
「そうでしょうね、私にも見えません」

もっとも私にはうさぎが居るようにも見えませんが、と大久保は無表情を崩さずに告げる。
それが何だか大久保らしくて、くすりと笑いが溢れた。

「先程、月が綺麗だと言いましたね」
「ええ、今日の月はとても美しい」
「以前に、その月よりも私の方が綺麗だと言った男が居たんですよ」

ほう、と興味深そうに大久保は月と自分を見比べた。
何故そんなことを大久保に語ろうとしたのか、自分でもよく分からない。
可笑しいでしょう月と比べるなんて、そう言おうとして、いつになく穏やかに微笑する大久保の姿にハッとした。

「その方は、とても見る目がある」
「な、にを…」
「自信をお持ちなさい。月なんかより余程綺麗ですよ、木戸さんは」

半歩の距離が詰められる。
後退ろうとして、背に柱があるのを忘れていた。
数寸の距離で漆黒の瞳が自分だけを見つめてくる、そこに黄色に輝く月の光は少しもない。

「その方は…?」
「え?」
「貴方を月より綺麗と言った、その方は今は?」

深い黒の目に、心の奥底まで見透かされている様な気がした。
どくどくと、鼓動が早くなる。
全てを語らねばならないような、そんな気がして、別に言う必要など何処にもないのに答えてしまう。

「彼は、もう…」
「月に攫われましたか」
「そ、んなんじゃ、ありません。ただ、彼は病で」
「月に誘われて行ってしまいましたか。貴方の方が綺麗だと、何処にも行かないと言っておきながら」
「…違います」
「前言を撤回しましょう。貴方より月を選ぶなど、見る目のない」
「違う…違う、晋作は、月になど…っ」
「私は行きません」

狼狽し、頭を振って否定するのを、大久保はたった一言で止めてしまった。
大久保の瞳には、情けなくも短く切ったばかりの髪を振り乱し狼狽える自分の姿だけが写っている。

「私は月などには惑わされない。私は、貴方を手放したりなどしない」
「大久保さん…?」
「貴方だけを、愛しいと思います」

ぶわ、と顔が熱くなるのを感じた。
突然何をこの男は真面目な顔をして、と混乱する頭で視線を彷徨わせる。
けれど、大久保は逃げることを許してはくれず、両の手で頬を捕らえられた。

「私にしておきなさい、木戸さん」

退路を断たれ、真摯に見つめられ、弱いところに漬け込むように愛を囁かれては、もう逃げ道など何処にも見つからない。
肯定も否定もせずせめてもの抵抗に目蓋を下ろすと、柔らかいものが優しく目蓋に触れた。



「月は、私の恋敵なんです」

畳の上に座し、ぼんやりと月を眺めながら隣に座る大久保に告げる。
大久保の方へ体を凭れ掛けて体重を預けると、少し心が軽くなったような気がした。

「月が嫌いですか」
「いいえ、月は好きですよ」
「恋敵なんでしょう?」
「はい」

けれど高杉を連れて行ってしまった月は、高杉の魂を宿してとてもとても美しく輝くから。
高杉の放つ光を、嫌いになどなれるはずもない。

「貴方と月如きを比べ、剰え月を選んだような男を、未だ忘れられませんか」
「はい、忘れられません」
「私というものが居るのに」
「それはだって、仕方ないでしょう。彼の方が、貴方よりもいい男だったんですから」
「…なるほど」

憮然として言った大久保に、くすくすと笑う。
それから、手を、と告げる。
手をどうして欲しい、とは言っていないのに、彼は心得ていたように手を繋いだ。
ぎゅ、と強く握ってみると、大久保も握り返してくる。
あの日繋いだ硬く温かい手のひらとは正反対の、細く体温の低い手のひらだった。



end



スポンサーサイト

*    *    *

Information

Date:2016/02/01
Comment:0

Comment

コメントの投稿








 ブログ管理者以外には秘密にする
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。