【梅花春月】 どこへ行くの
FC2ブログ
 

梅花春月

□ スポンサー広告 □

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

*    *    *

Information

□ TEXT □

どこへ行くの

明治
木戸視点 大木戸






眼前に差し出された封書には、神経質そうな字で、辞表と書かれていた。

「これにて、政界から退かせて頂きたく」

聞けば、三条岩倉両名には既に話を通しているという。
直接は受け取られないと思ってか、封書は自分たちの間を隔てる机へ無造作に置かれた。
目を白黒とさせる僕に構わず、大久保は無表情に頭を下げ話は終わったとばかりに執務室を出て行こうとする。
僕は慌てて呼び止めた。

「大久保さん、これは一体何の真似ですか」
「何の、とは?」
「辞めるだなんて、そんなこと、突然何の冗談だと聞いているんです」

戸惑う僕を目に留め、大久保はフッと僅かに唇を歪めて笑う。
硬質な床に靴音を響かせ、机の周りをゆっくりと歩む。
何物にも僕達の間を阻まれない位置まで来ると、僕の座る椅子の肘掛を両の手で抑え、大久保は僕から逃げる空間を奪った。

「冗談では、ありませんよ」

低い声が、頭上の近い場所から降り注ぐ。

「私はね、木戸さん。疲れたんです」
「何を…」
「思うままにならない政務も、この国の行く末を憂うのも、時に嘗ての同志と袂を分かたなければならないことも」

貴方ならお分かりでしょう、と告げながら大久保が腰を折り、顔と顔の距離が近付いてくる。
実に大久保らしくない、ねっとりとした言い方に背筋が粟立った。
同時に、怒りが込み上げる。
疲れたのは此方の方だ、と、誰が僕の同志だった者たちを次々に奪っているのか、と。
言葉にしようとした時、ついに視線が同じ高さでかち合った。
虚空のように深く、それでいて白刃のように鋭い眼に、紡ごうとした言葉が口の中で留まる。

「私を、解放してください」

哀愁を漂わせ、被害者然として告げた大久保に、カッと目の前が赤く染まった。
許すはずがない、僕の意思など聞き入れず都合の良いように利用しておきながら、僕の自由を奪い国に縛り付けておきながら、自らは解放を願うなど許されるはずがない。

「貴方は、今の政府に必要な方です。国も民も、貴方を求めています」

心情とは裏腹に、努めて柔らかな口調で、宥めるように声をかける。
大久保は自嘲の笑みを浮かべ、首を真横に数回振った。

「私など、そのような大それた人間ではありません。此処にいても、何も出来ることはない」
「そんなことはありません」
「それとも、私の名前はまだ多少なりとも利用価値がありますか。欲しいなら、どうぞご自由にお使いなさい。私はもう、大久保利通でいたくはない」

普段の無口さが嘘のように、今日の大久保は饒舌だった。
大久保はすっと立ち上がり、後ろに一歩下がる。
詰められていた僕達の空間が開き、圧迫感から解放された。
僕は椅子から立ち上がり、机の上に置かれた辞表を掴むと、その真ん中から引き裂いた。

「もう一度言います。貴方はこの国に必要な人間です。勝手に辞めるなど、あってはならない」
「何故そうまで…貴方も私がいない方が清々とするでしょう」
「そういう話ではないでしょう」

好きか嫌いかで言うなれば、大久保利通という男の一から十まで全てが嫌いで仕方がない。
国との向き合い方も、手腕は認めていてもそのやり方全てが。
それでも、彼は薩摩の大人物で、西郷の去った今たった一人僕と並び立ち国を動かす男だった。
この男を邪魔と思ったことがないとはいわない。
この男がいなければと思わなかったともいわない。
それでも、紛れもなく、この男は必要な人間だった。

「辞めたとして、どうするのですか」
「郷にでも帰りますよ」
「冗談じゃない。西郷と共に挙兵でもするおつもりか。そんなことを許すとお思いですか」
「まさか」

挙兵などするはずもない、国も政務も、全てを忘れたいのだから。
そう大久保は言った。
けれど、それが本心だとしても、一部の可能性もないと言えない限り、そんなことを許可できるはずもなかった。

「そんなことはできないと、貴方自身ご理解されているでしょう」
「分かりませんね」
「大久保さん」

とにかく此処を去りたいと言う大久保は頑なだ。
その頑なさを繋ぎ止める術など知らないが、ともかくこのまま此処から出すわけにはいかなかった。
今度は此方から距離を詰め、だらりと下げられている大久保の手を両の手で握りこむ。
長身の男の割に細く柔らかな手は、自らと違って剣など握ったこともないのだろう。

「大久保さん」

視線を合わせ、真摯な声で呼ぶ。
ぴくりと動いた眉は、どのような感情を持ってのことだろうか、無表情の中にその感情は見出せない。

「どこへ行くのですか、私を置いて」

大久保は無表情を崩し、目を見開いて息を呑んだ。
僕は握り込んだ手に力を込める。
たった一人、共にこの国を生み出した片割れである僕を残して、去って行くなど許さない。

長い沈黙の後、大久保は諦めたように溜め息を吐いた。
怨みがましい目で僕を睨み、やがて目を伏せる。

「貴方は、狡い」
「狡い…?」
「私が貴方に惚れているのをいいことに、そのようなことを言う」

大久保の紡いだ言葉を理解して、僕は慌てて手を離した。
逃さないというように離した手を今度は大久保に掴まれる。
まさか、と悲鳴にも似た声を発するより早く、僕の顔に食らいつくようにして大久保の顔が近付いた。


ゴン、と鈍い音が室内に響き、額の痛みに涙が滲んだ。
痛む額を摩りながら周囲を見渡せば、そこは見慣れた自身の執務室だった。
机の上には、流麗な字で辞表と書かれた一つの皺もない封書が置かれている。
それは紛れもなく、僕自身の書いたものだった。
あれは夢だったのかと、ようやく思い至る。
急激に現実へと引き戻される感覚を味わいながら、あの大久保が自身に辞表を突き付けるはずもないと苦笑する。
さて、と立ち上がろうとしたところで、ドアがノックされた。
はい、と返事をすると、ドアの向こうから現れたのは先程夢に見た大久保だった。
書類に目を通しながらツカツカと靴音を鳴らして机を挟んだ向かい側に立った大久保は、口を開こうとして、目の前に置かれた封書に書かれた辞表の文字に眉を顰めた。

「木戸さん、貴方はまたこのようなものを…」

持ってきた書類を机に置き、封書に手を伸ばそうとするのを、僅かに早く僕が掬い取る。
慌てて懐へしまうのを、大久保が破くと思っての行動だととったのか、大久保は閉口して息を吐いた。

「貴方という人は、まったく」

幾度提出しようと受け取られない辞表。
僕が辟易としているように、大久保もまた辟易としていることだろう。
机をぐるりと周り僕の傍に立った大久保は、僕の座る椅子の肘掛に手を置き逃げ道を塞いで言った。

「一体どこへ行こうというのです、私を置いて」

カッ、と頰に熱が集まる。
僕が夢に見たことを、大久保は同じように告げたのだ。
そして僕はこの男から逃げられなくなる、大久保のことなど、嫌っているはずなのに。

「木戸さん?」

大久保が不思議そうに首を傾げ、僕の両頬を両手で包み込んだ。
つい先程、夢で僕が掴んだものと同じ、細く柔らかな手の平で。

「顔が赤い。どこか、本当にお悪いのですか」

僕は縦にとも横にともつかないよう曖昧に首を振る。

「頗る…」

頗るどうだ、とは言っていないのに、それはいけないと大久保は身を離した。

「この先の政務に差し支えては困ります。今日は早くお休みなさい」

書類の件は後日、と告げ、それが自然であるかのように一度さらりと僕の髪を撫でた。
それから何を言うでもなく去って行く大久保を、僕は追いかけることもなく、大久保もまた振り返ることはなかった。



end



スポンサーサイト

*    *    *

Information

Date:2018/01/03
Comment:0

Comment

コメントの投稿








 ブログ管理者以外には秘密にする
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。