【梅花春月】 ただの『わたし』という存在
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梅花春月

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ただの『わたし』という存在

明治
木戸視点 大木戸




提出した辞表は、眼前で無残に引き裂かれ、ただの紙となって机の上に散らばった。
大久保が溜息を吐き、冷めた目で此方を見る。
何度目のやりとりだろうか、せっかく認めた辞表が破り捨てられても、今更憤慨する気持ちは起こらなかった。

大久保は煙管を取り出し火を付けると、煙を肺いっぱいに吸い込んでから白い煙を吐き出した。
互いに何も発しないまま、沈黙が空間を支配する。
やがて、カンッと高い音を立てて煙管を灰皿へ打ち付け灰を落とし、大久保は机に散らばっていた辞表であったものを集め灰皿へ入れるとマッチに火をつけ共に燃やした。


「もう、いい加減になさい」

漸く発した大久保の言葉は、それであった。
苛立ちや怒りなどは微塵も感じさせず、ただ呆れたようにこちらを見据える。

「貴方が幾ら辞めたいと言っても、認めるわけにはいきません」
「では、認められるまで幾らでも書いて参りましょう」
「物分かりの悪い人でもないでしょうに」
「物分かりの悪い人間です、私は」
「木戸さん」

嗜めるような言い方が癪にさわる。
何を、聞き分けのない子供に言い聞かせるように言っているのだ、と。
僕を辞めさせないのは周りの人間ではなく、大久保本人であるというのに。

「私に出来ることなど、もうありません。私は、此処にいても無意味だ」
「何を仰る。貴方には、貴方にしか出来ない国事が山のようにあります」
「私である必要はありません」
「いいえ、貴方はご自身を過小評価し過ぎだ」

大久保はイギリスから取り寄せた柔らかな背凭れの椅子から立ち上がり、ゆっくりと此方へ近付いた。
僕の頰に触れ、撫でつけて固めた髪をなぞるようにして耳の後ろへと手を滑らせる。
不快でしかないそれに、パシリと手を払いのけた。

「私にはもう、此処に居場所はありません」
「では、何処へ行かれるおつもりで?」
「郷に…萩に帰ります。萩で隠遁し、寺子屋のようなものを開いて子供達に手習いを教えながら、国事から離れて静かに暮らしていきます」
「…本気でそれが出来るとお思いですか」
「出来ます」

力強く答えると、大久保は深く息を吐き、首を真横へ振った。
素敵な夢ですがね、と言いながら、大久保は窓の方へ歩いて行き、カーテンを避けて窓を開けた。
内務卿の執務室からは、窓を開ければ辺りの景色がよく見える。

「貴方は、此処で生きるのです。此処以外では死ねません」
「私は、そんな生き方をしたくはない」
「貴方が望む望まないに関わらず、それが貴方の業です」

お諦めなさい、と大久保は憐れなものを見るような瞳で僕を見た。

「貴方は、もう何処にも戻れません。貴方は、この先一生、廟堂から姿を消すことは出来ません」
「私の、業…」
「お諦めなさい木戸さん、貴方はもう木戸孝允としてしか生きられない」

ただの長州藩士の一人であった桂小五郎に戻ることも、ただの一国民としての別の存在になることも、もう叶わないと大久保は言う。
そうしてこの国に絡め取られた姿で、死ぬまで生き続けるしかないと。

「貴方は、この国の親です。貴方が生み落とした、新しい日本という国の、親です」
「ですが、この国はもう私の手には負えない。私の手からは、もう随分離れてしまっています」

それは、眼前にいるもう一人の親である、大久保によって。
今や国政は自分の思惑と反した所へ向かっている、だからもう僕に此処にいる意味はないと、再び訴えた。
しかし大久保は無表情のまま首を振るばかりで、もう此処を離れて良いという僕の望む言葉を与えてはくれない。

「たとえそうであったとしても、最後まで支え、見届ける義務が貴方にはある」
「何故! もう十分でしょう。もう私は十分に尽くしたでしょう、この国にも、私自身にも、貴方にも」

自分が感情的に叫んでいるのが、何処か遠くから冷めた視点で理解できた。
どれほど熱くなって叫んだところで表情一つ崩さない大久保に、余計に感情が昂ぶりを増し、机上に置かれていた灰皿とそれに立て掛けられていた煙管を乱暴に払い落とす。
大きな音を立てて落ちたそれは床中に白い灰を撒き散らした。
この部屋から火が出て、建物すべてを燃やし尽くしてしまえば良いのに、と火種は残ってはしないかと床に打ち付けられた灰皿を睨め付ける。
火は完全に消えてしまっていたようで、煙の一つもあげず、燃え広がる様子もないそれに舌を打つ。
大久保は咎めることもなく、癇癪を起こした子供が落ち着くのを待つように、じっと此方を眺めていた。

「暴れて気が収まるのでしたら、幾らでも暴れなさい」
「貴方の…っ、そういう所が嫌いなんじゃ」
「私を嫌いになることで貴方の気が晴れるのなら、どうぞ、幾らでもお嫌いなさい」

何を言い返すこともできず、悔しさと無念に唇を噛む。
俯き、何も言えずにいると、大久保はゆっくりと此方に近付き、肩に両の手を置いた。

「貴方は、この国を生んだ親です。その手に負えなくなっても、支え続けるのが親の責務です。子は三界の首枷と言うでしょう。貴方はこの子を生んだその瞬間から、もう、木戸孝允としてしか生きられません」

その代わり、と大久保は肩に置いた手を背に回す。
痩身が僕の体を抱き締めると、体温のなさそうな外見とは裏腹に、大久保の熱が伝わってくる。

「私も、この国の親です。私もまた、もう他の何者にも、大久保一蔵にもなれない。この国に縛られ、此処を出ることなく、死ぬまでこの国のために尽くすしか道はありません」
「貴方も…」
「はい、私も。…木戸さん、貴方独りを此処に縛り付けたりはしません。私も…私だけが、貴方と共に」

腕に力が篭り、抱き込められる。
耳元で紡がれる声は、まるで閨の中で囁かれる睦言のように低く甘やかで、逃れるのを許さないと言っているようだった。

「お諦めなさい。そして、お覚悟なさい、木戸さん」
「覚悟…」
「私と此処で生き、此処で死ぬ覚悟をなさい。他の誰でもなく、私と、この国のために」

ぼうっとした頭で、今日の大久保はいやに饒舌だなと思う。
これ以上歯向かう気力は、とうに尽きていた。


幼い頃、僕は何になりたいのだったか。
病弱な身体を剣に鍛え、本を読み耽っては知識を詰め込み、学び、考え、奔走した。
様々な人の生き様に触れ、多様な思想を知り、新たな時代に飲み込まれながら、まだ見たこともないものに想いを馳せ、目を爛々と輝かせては日々を過ごした。
たった数年前のことだ、それが、たった数年でこうまで変わった。
幼い頃、僕は何になりたかったのだったか。
きっと、国という途方もないものに飼い殺される、今の自分ではなかったはずだ。

この国が必要としているのは、長州の首魁である木戸孝允という存在でしかない。
ただの僕は必要なくて、その名前だけが、地位だけが。
それでも、もういいかと思った。
疲れてしまった僕は、応えるように大久保の背へ自らの手を回す。

「貴方は私と同じですか」
「同じです」
「私を独りにはしませんか」
「決して」

きっと大久保は僕よりももっと前に諦めてしまったのだろう、何物にも囚われないただの『自分』という存在を。
諦めて、押さえ込んで、そんな人にたった一人僕だけが共にそうあるべきだと言われてしまったら。

「…そいたら、もう仕方ないけぇ。僕も、諦めちゃろう」

抱き合ったまま、小さく、音になるかどうかの声で呟いた。


きっと僕は数日後には再び辞表を書くだろう、そしてまた破かれる。
けれどそれは覚悟がないからではなく、僕の心の均衡を図るために。
此処に生き此処に死ぬしか出来ない僕の、必要とはされない僕の本質が起こす、ほんのささやかな抵抗の証に。




end



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Date:2016/02/14
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